審判の日 10月23日である
1日は長い、1週間は糞長い、1ヶ月は短い
で、1年は?
やっぱり長い
ただ3年は短いような気もする
とりあえず、予定通りケツイDL発売一周年記念日を以って「砂極狩殺」は「浄化 -KO-」の方向に向かいます
rushの受験がどうのこうので消えるのか、というご意見が多数寄せられておりますが、それは理由の一つであって、問題はケツイDL発売一周年記念日ということです
「あ、これ面白そう」と思ったネタを上げるフィールドを失うことは残念なんですが、まぁ、そこはケツイDL発売一周年記念日ですから
さて、こうして振り返ってみると、いやはや自分が成長したねぇと切に思います
去年も半ば過ぎ、JKGにホイホイ着いていったつるまき
あそこでのケツイとの出会いで俺は変わるきっかけを得られました
それから、多くのSTG、数多の鬼畜共、シューター様の石、そして世界を埋め尽くさんとする粕共
これら全てが今の俺を形成してくれたんでしょう
今、時代は傾いています
かつて戦争があった時代は、精神が健全という意味で平和だったんだと思います
しかし、今、どうでしょう
俺らの親の世代は、団塊の闘争状態を抜け、健全な魂を持っています
彼らは今までの価値観を壊そうとしていたし、実際壊して今の世の中を作りました
特にマンガ、アニメ、ゲームはそうです
アニメは、ガンダムがあります
マンガは手塚大先生の作品があります
ゲームはインベーダーやマリオがあります
今、それに打って変わるものは存在しないでしょう
それは、俺らがそれを作り出す力が無いからです
この力は、「force」などではなく、「capacity」と言い換えられるものでしょう
そういうものが、俺らには、無い
ゆとり世代と言われる俺たち
その中であーだこーだ言い合っても、そのことに意味なんてありません
それどころか、すでに富野監督、手塚大先生を始め、多くの人が文化的に「最高」であるものを作り上げてしまったので、新しい価値なんてないはずなのです
しかし、今でもそういう議論は続いています
これこそ、俺が、俺たちが今ココに居る理由じゃないでしょうか
俺たちが目指す先は、結局のところ、タイトーという社名では無いのでしょうか
インベーダーを元に、日本のゲームは飛躍的に発展していきました
そして、グラディウスや沙羅曼陀、R-typeにダライアスなど、STGは素晴らしい軌跡を描き、そして95年、池田恒基という混沌の化身が、首領蜂を繰り出し、STGは最高の段階へと至ったはずです
そこにRSシリーズやサイヴァリアなど、追随して最高LvのSTGが出ました
しかし、周りに目を向けると、wiiの出現などでゲームの存在意義は薄くなり、内容的にも、いいものは焼き増しばかりで、たいした新作もありません
他に、アニメはラノベの書き写しの深夜帯が台頭し、マンガも巨匠級の作家が居ない状況です
果ては、誇りも糞も無い個人が同人と称して今までの文化を馬鹿にするものを大量に出すような始末です
こういった状況の中、普通のゲーマーの一種だったシューターは文化、そして世界に口を出す権利と義務を持ったんだと思います
なにやら面倒なこと言っちゃいましたが、要は文化が腐っている今、シューターはそれを守っていく必要がある、ということです
というより、シューターというもの自体、ただ、過去から見ても未来を見ても素晴らしいものを見つめていくうちに、その先にシューティングを見つけただけ、の存在ではないのでしょうか
だから、シューターがどうか、など関係ないのです
いいものをいいように残していく、それだけ心に刻めばいいのではないのでしょうか
というか、その方が気も楽な気がします
間違いを見つけられないものさえ追っていれば、間違うことも弱者扱いを受けることもないのですから
ラノベ厨であっても理解のある友人が居るのですが、やはり純文学との落差は否めない、と本人も漏らしてますから、やはりそうなんでしょう
むしろ俺は、その弱者の立場に居ることに満足している方がよくわかりません
俺には「負けること」に勝てる精神はありませんから
この話を煮詰めていくと、今何もできないじゃないか、と思わざるを得ないのですが、そんなことは無いはずです
悪く言えば、文化は全部パクリです
そのパクリ元を、いいものにしていけば、基本いいものしか生まれないはずです
簡単に言いますが、これ結構難しいんですよね
シューターに関しては、その精神力の源であるゲーセンを大切にし、己を鍛えたりする必要はありますが、どういう立場に居てもそういう場所は与えられるはずです
さらに、そういう最上の立場に居ることで腐らないで、自分を伸ばしていく必要なのがまたつらいところ
まぁつまり、どうしようともそれなりの覚悟は必要なんでしょうね、生きていく上で
話は変わりますが
俺がよく言ってる「彼の同人ゲーは粕」はやっぱ間違って無いし、シューターに絶対必須な精神だと思うんですよ
というのは、アレのせいで他のオフィスを目指す同人作家の人たちが誤解を受けるし、センスのいいアレンジャーの存在意義をなくします
また、信者を作るのはいいとして、それを自分の目指したものへの敵意に変換させた時点で、クリエイターとしても人としても塵以下の存在でしかなくなるからです
むしろ、同人の存在意義はそういうところにあったんでは無いでしょうか
とたまには同人作家の肩を持ってみる
話が飛んで
約1年半前に起こった「秋葉原歩行者天国通り魔事件」
その犯人は、どうやら粕の住人だったようです
まぁそれはいいとして
最近聞くに、大体の荒らし厨は、やっぱり粕の人が多いらしいんですよね
コミケの会場荒らしも大体そんな感じらしいし
コミケ自体に興味は無いが、やっぱそういうことなんだろう
現代の病魔が集まってる間に元々悪かったものがさらに悪くなるという悪循環に陥っているってことだろう
基本、元々悪いものなんて無いはず、というのが俺の持論「だった」
が、それは古い考え方だっていうことを先日気付いてしまった
現代の大衆文化における悪循環を煮詰めた結果、「最悪」の産物が完成することも有るんだろう
ダメな人間がいるから、そいつらを拾うさらにダメな製品が生まれる
それの繰り返しで、最悪は生まれるんだろう
何かを生み出す者は、そういうことをしてはいけないはず
だけど、そこに利潤とか絡んでくるとそうもいかなくなる
つまり、その道を外れた時点で、文化人は守銭奴になるために、文化を語る詐欺師となる
つまりそれは、文化を汚す罪人ということになる
こういう事実を、現代を生きる全ての人が知らなきゃいけないんだと思う
だから、普通の萌え好きからでも引かれるものも出る、とある友人も言っていた
そこにすら集うものは、彼の目から見ても「邪魔」らしい
そういう人間に人権なんてやっていいのだろうか
もはやこれはそういう議論の領域なんだと思う
とまぁ、俺の最後までにはいわねきゃならん主張はさておき
最後の餞につるまきに往ってくる
これから長らくゲーセンに往く余裕も無いだろうし
とりあえずケツイ
コインが残り8枚しかなかったので、3枚はあとに死んでいくものに託す
3面ボスまで4機
かなりいいと思ったら、ジャマダハルでふるぼっこ
2機で4面往ってブラックドラフトのぬるぬる感見る前に死んだ
ひさびさに大復活
2周目に入れない・・・・・・だと・・・・・・ッ!
どうやら裏ボスに4面から入ったのが原因のようです
で、完璧におふざけで赤パワマゾプレイやってみた
気合で5面まで往った・・・・・・・ッ!
しかしこの5面、やっぱ実機で聞くとすごくいい曲である
さて、割といつもどおりにお送りしさせていただいた砂極狩殺最終記事
見ての通りまだまだ未熟者ですが、ご縁があれば、成長した俺と、ゲーセンでめぐり合いましょう
The end of responces
>Nikujiru
とりあえず新(新というか旧?いやむしろ『真』か)1面に期待するぜ
PC部の未来は君に託されたッ!!
>NOMさん
∀がわからなくとも面白いところが、いい
君やトリトンもNikuさんと共にPC部を明るく改竄してくれ
>ggmn
ターンAターンはガチで歌える曲だから2番は残しておきたいところ
死ぬがよい
さて、これで書くべきこと全部大体書いたな
でわ、最後に
いよいよもって死ぬがよい。
そしてさようなら。
1日は長い、1週間は糞長い、1ヶ月は短い
で、1年は?
やっぱり長い
ただ3年は短いような気もする
とりあえず、予定通りケツイDL発売一周年記念日を以って「砂極狩殺」は「浄化 -KO-」の方向に向かいます
rushの受験がどうのこうので消えるのか、というご意見が多数寄せられておりますが、それは理由の一つであって、問題はケツイDL発売一周年記念日ということです
「あ、これ面白そう」と思ったネタを上げるフィールドを失うことは残念なんですが、まぁ、そこはケツイDL発売一周年記念日ですから
さて、こうして振り返ってみると、いやはや自分が成長したねぇと切に思います
去年も半ば過ぎ、JKGにホイホイ着いていったつるまき
あそこでのケツイとの出会いで俺は変わるきっかけを得られました
それから、多くのSTG、数多の鬼畜共、シューター様の石、そして世界を埋め尽くさんとする粕共
これら全てが今の俺を形成してくれたんでしょう
今、時代は傾いています
かつて戦争があった時代は、精神が健全という意味で平和だったんだと思います
しかし、今、どうでしょう
俺らの親の世代は、団塊の闘争状態を抜け、健全な魂を持っています
彼らは今までの価値観を壊そうとしていたし、実際壊して今の世の中を作りました
特にマンガ、アニメ、ゲームはそうです
アニメは、ガンダムがあります
マンガは手塚大先生の作品があります
ゲームはインベーダーやマリオがあります
今、それに打って変わるものは存在しないでしょう
それは、俺らがそれを作り出す力が無いからです
この力は、「force」などではなく、「capacity」と言い換えられるものでしょう
そういうものが、俺らには、無い
ゆとり世代と言われる俺たち
その中であーだこーだ言い合っても、そのことに意味なんてありません
それどころか、すでに富野監督、手塚大先生を始め、多くの人が文化的に「最高」であるものを作り上げてしまったので、新しい価値なんてないはずなのです
しかし、今でもそういう議論は続いています
これこそ、俺が、俺たちが今ココに居る理由じゃないでしょうか
俺たちが目指す先は、結局のところ、タイトーという社名では無いのでしょうか
インベーダーを元に、日本のゲームは飛躍的に発展していきました
そして、グラディウスや沙羅曼陀、R-typeにダライアスなど、STGは素晴らしい軌跡を描き、そして95年、池田恒基という混沌の化身が、首領蜂を繰り出し、STGは最高の段階へと至ったはずです
そこにRSシリーズやサイヴァリアなど、追随して最高LvのSTGが出ました
しかし、周りに目を向けると、wiiの出現などでゲームの存在意義は薄くなり、内容的にも、いいものは焼き増しばかりで、たいした新作もありません
他に、アニメはラノベの書き写しの深夜帯が台頭し、マンガも巨匠級の作家が居ない状況です
果ては、誇りも糞も無い個人が同人と称して今までの文化を馬鹿にするものを大量に出すような始末です
こういった状況の中、普通のゲーマーの一種だったシューターは文化、そして世界に口を出す権利と義務を持ったんだと思います
なにやら面倒なこと言っちゃいましたが、要は文化が腐っている今、シューターはそれを守っていく必要がある、ということです
というより、シューターというもの自体、ただ、過去から見ても未来を見ても素晴らしいものを見つめていくうちに、その先にシューティングを見つけただけ、の存在ではないのでしょうか
だから、シューターがどうか、など関係ないのです
いいものをいいように残していく、それだけ心に刻めばいいのではないのでしょうか
というか、その方が気も楽な気がします
間違いを見つけられないものさえ追っていれば、間違うことも弱者扱いを受けることもないのですから
ラノベ厨であっても理解のある友人が居るのですが、やはり純文学との落差は否めない、と本人も漏らしてますから、やはりそうなんでしょう
むしろ俺は、その弱者の立場に居ることに満足している方がよくわかりません
俺には「負けること」に勝てる精神はありませんから
この話を煮詰めていくと、今何もできないじゃないか、と思わざるを得ないのですが、そんなことは無いはずです
悪く言えば、文化は全部パクリです
そのパクリ元を、いいものにしていけば、基本いいものしか生まれないはずです
簡単に言いますが、これ結構難しいんですよね
シューターに関しては、その精神力の源であるゲーセンを大切にし、己を鍛えたりする必要はありますが、どういう立場に居てもそういう場所は与えられるはずです
さらに、そういう最上の立場に居ることで腐らないで、自分を伸ばしていく必要なのがまたつらいところ
まぁつまり、どうしようともそれなりの覚悟は必要なんでしょうね、生きていく上で
話は変わりますが
俺がよく言ってる「彼の同人ゲーは粕」はやっぱ間違って無いし、シューターに絶対必須な精神だと思うんですよ
というのは、アレのせいで他のオフィスを目指す同人作家の人たちが誤解を受けるし、センスのいいアレンジャーの存在意義をなくします
また、信者を作るのはいいとして、それを自分の目指したものへの敵意に変換させた時点で、クリエイターとしても人としても塵以下の存在でしかなくなるからです
むしろ、同人の存在意義はそういうところにあったんでは無いでしょうか
とたまには同人作家の肩を持ってみる
話が飛んで
約1年半前に起こった「秋葉原歩行者天国通り魔事件」
その犯人は、どうやら粕の住人だったようです
まぁそれはいいとして
最近聞くに、大体の荒らし厨は、やっぱり粕の人が多いらしいんですよね
コミケの会場荒らしも大体そんな感じらしいし
コミケ自体に興味は無いが、やっぱそういうことなんだろう
現代の病魔が集まってる間に元々悪かったものがさらに悪くなるという悪循環に陥っているってことだろう
基本、元々悪いものなんて無いはず、というのが俺の持論「だった」
が、それは古い考え方だっていうことを先日気付いてしまった
現代の大衆文化における悪循環を煮詰めた結果、「最悪」の産物が完成することも有るんだろう
ダメな人間がいるから、そいつらを拾うさらにダメな製品が生まれる
それの繰り返しで、最悪は生まれるんだろう
何かを生み出す者は、そういうことをしてはいけないはず
だけど、そこに利潤とか絡んでくるとそうもいかなくなる
つまり、その道を外れた時点で、文化人は守銭奴になるために、文化を語る詐欺師となる
つまりそれは、文化を汚す罪人ということになる
こういう事実を、現代を生きる全ての人が知らなきゃいけないんだと思う
だから、普通の萌え好きからでも引かれるものも出る、とある友人も言っていた
そこにすら集うものは、彼の目から見ても「邪魔」らしい
そういう人間に人権なんてやっていいのだろうか
もはやこれはそういう議論の領域なんだと思う
とまぁ、俺の最後までにはいわねきゃならん主張はさておき
最後の餞につるまきに往ってくる
これから長らくゲーセンに往く余裕も無いだろうし
とりあえずケツイ
コインが残り8枚しかなかったので、3枚はあとに死んでいくものに託す
3面ボスまで4機
かなりいいと思ったら、ジャマダハルでふるぼっこ
2機で4面往ってブラックドラフトのぬるぬる感見る前に死んだ
ひさびさに大復活
2周目に入れない・・・・・・だと・・・・・・ッ!
どうやら裏ボスに4面から入ったのが原因のようです
で、完璧におふざけで赤パワマゾプレイやってみた
気合で5面まで往った・・・・・・・ッ!
しかしこの5面、やっぱ実機で聞くとすごくいい曲である
さて、割といつもどおりにお送りしさせていただいた砂極狩殺最終記事
見ての通りまだまだ未熟者ですが、ご縁があれば、成長した俺と、ゲーセンでめぐり合いましょう
The end of responces
>Nikujiru
とりあえず新(新というか旧?いやむしろ『真』か)1面に期待するぜ
PC部の未来は君に託されたッ!!
>NOMさん
∀がわからなくとも面白いところが、いい
君やトリトンもNikuさんと共にPC部を明るく改竄してくれ
>ggmn
ターンAターンはガチで歌える曲だから2番は残しておきたいところ
死ぬがよい
さて、これで書くべきこと全部大体書いたな
でわ、最後に
いよいよもって死ぬがよい。
そしてさようなら。
スポンサーサイト